概要 北白川の閑静な住宅街にあって、風雅な趣きのある白亜の建物は、京都大学の中国学研究のシンボル的存在である。書庫には30万冊を超える漢籍を収蔵し、その会読を基軸とする共同研究を推進する研究拠点として、世界中の研究者が結集する。同時に、この建物は、日本近代建築の最高傑作の一つとしても有名である。 歴史・設計者東方文化学院京都研究所(現在の東方学研究部の前身)の研究施設として1930年11月に竣工。鉄筋コンクリート造、敷地4,228平方メートル、建坪2,712平方メートル。設計者は、武田五一(2)と東畑謙三(3)である。 |
建物の特色 スペイン僧院を模したロマネスク風のデザインになったのは、濱田耕作文学部教授(後の京大総長)の発案による。「中国を研究するのに、何も龍の反りかえった屋根にする必要はあるまい」と語り、北イタリア風の僧院をスケッチして示したという。義和団事件の賠償金をもとに設立された東方文化研究所の設立趣旨は「中国の文化的復興」にあったが、東洋趣味を強調せず、学問的瞑想の場にふさわしい風貌にすることで、旧態依然とした漢文学から脱却し、近代的な学問として中国学を再生しようとするコンセプトが込められている。 |
尖塔内部の2-4階は鉄骨三層構造の書庫となっている。これは、漢籍10万冊を収蔵できるようにしてほしいという注文に応えて、東畑謙三がアメリカの最新式スタイルを応用したものである。2階から三層に積み上げた書架の鉄骨を主柱に利用し、吹き抜け構造、天窓及び床板にはめ込んだガラス等によって採光を工夫する。 |
館内は、閲覧室と書庫の尖塔に隣接して研究棟が配置され、回廊式に中庭を取り囲むようになっている。中庭には、中央に小さな池と井戸があり、北側に初代所長の狩野君山(直樹)博士の胸像が南面する。スペインのパティオ(PATIO)を模しているものの、どこか町屋の風情が漂っている。 |
建物に投影された東西文化の邂逅と抵触によって、館内全体に緊張感にある静けさが醸し出されていると言っていいだろう。学問的思索と討論を行うのに、この建物にまさる空間はないように思われる。
(1) 文化庁HP内国指定文化財等データベースから登録情報を参照可。詳細はこちらをご覧ください。
(2) 武田五一(1872-1938)は近代日本を代表する建築家であり、「関西近代建築界の父」と呼ばれている。当時は京都大学建築学科初代教授であるとともに、京都大学営繕課の課長を兼務していた。
(3) 東畑謙三(1902-1998)については、東畑建築事務所HP内の「東畑謙三の代表作品」コーナーに詳しい。(詳細はこちらをご覧ください。)
(4) 京都大学では、人文研とともに楽友会館(設計者:森田慶一、1924年竣工)がその代表作である。なお、大手建築会社では、関東では清水組、関西では大林組がスパニッシュ住宅を量産したが、人文研の建物の施工業者も大林組である。